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イベントレポート
2020.10.30
第5回IALD Japan WEBINAR「大阪のおっさんたち(その歴史と将来)」
今回は「大阪のおっさんたち」がテーマ。関西における照明デザインのルーツや特徴を含めて歴史を紐解きながら、総会などでは知ることのできないパネリスト達の経歴や仕事の紹介を通して、関西にもこんな人がいるんだ!と知ってもらおうとWEBINARを開催しました。そこで関西を拠点に活躍されている照明デザイナー3名をパネリストに迎える予定でしたが村岡治彦氏が急遽欠席。影の声(村岡氏の代役)が特別参加となるWEBINARならではの回となりました。
まずはパネリスト3名の自己紹介からスタート。急遽欠席となった村岡氏の経歴と仕事についてはモデレーターであるスタイルマテックの松本浩作氏より紹介がありました。村岡氏は1983年にLDヤマギワ研究所でキャリアをスタート。2012年に自身の事務所を設立し、現在はライティングデザインスクールや大学でも教鞭を執られています。
次に紹介されたのは、学生時代に造形を専攻し、工業デザインも経験があるD.C.Worksの水馬弘策氏。LDヤマギワ研究所からキャリアをスタートさせ、建築設計事務所に勤務した後にメーカーに戻り、ドバイメトロのプロジェクトで中東に駐在した後、自身の事務所を設立しました。「私達の世代はちょうどバブルが崩壊する直前に一番活躍する時期を迎えた世代で、デコラティブなデザイン照明の全盛期だった」と話す水馬氏。日本では関西空港や海遊館、美術館やホテルなどの仕事に携わり、「この頃はCADがあまりなかった時代で、手書きの資料でプレゼンをしていた」と語り、今はパース図を加工して光をプレゼンテーションする仕事の流れなどを後進に伝えていると話しました。
続いて紹介されたのは、アカリ・アンド・デザインの吉野弘恵氏。パソコン系のメーカーから1990年にTLヤマギワ研究所に入社し照明デザイナーとしてのキャリアをスタート。ヤマギワ内のグレックスへの出向を経て、2002年に自身の事務所を設立されました。「バブル後半の時期にあたる新人時代は、神戸ハーバーランドのガレリアや新梅田シティのプロジェクトに携わり現場の実験立ち会いなどをしていた」と話す吉野氏。出向していた3年ほどは光学的な勉強や照明器具の開発を行い、現在は大学や博物館、植物園などの仕事に携わる中で「照明器具はできるだけシンプルに、建築・空間をいかにしてきれいに見せるかを考えながら照明計画をしている」と話しました。
その後、モデレーターの松本氏の紹介がありました。1983年に大光電機のデザイン室でキャリアをスタートさせ、89年に木谷デザイン事務所に参画した後に独立。「来るものは拒まず」のスタイルで、商業系やホテル・ブライダル系という色物を得意としていると松本氏は言います。近年はその他にも学校や病院、博物館、ランドスケープでは堂島川の護岸や大津の石山寺のライトアップなどの仕事に携わっていると話しました。
関西の照明デザイナー3名の紹介が終わり、影の声を加えた4名で今回のテーマである「大阪のおっさんたち」についてのトークが展開されていきました。関西における照明デザインのルーツを辿るとバブル景気を迎える1985〜1990年が創生期であり、関東首都圏で照明デザイナーや照明デザイン事務所が誕生するのが1990年辺りなので、この頃にほとんどの照明デザイナーの方がメーカーから独立しているところに大きな特徴があります。「昔から新しもの好きで、“ないもんやったらつくってまえ!”みたいなことでスタートすることがほとんどで、それが大阪の気質として流れている」と松本氏は言います。また、関西の照明デザイナーはヤマギワOBが多く、ヤマギワの営業出身者が照明メーカーを設立したり、照明専門店として独立したりと、関西の照明デザインを語る上でヤマギワという会社をおいては語れないと言います。
水馬氏は「一番すごいと思ったのは、当時は良くも悪くも仕事漬けで、意匠物の器具を作るというのがメインの時代、自分の手を使って確認していくプロセスがヤマギワにはあったこと」と言います。松本氏からの「CGでプレゼンテーションするデジタル時代の今こそ模型でスケール感を確認するといったことが非常に重要で、若手のデザイナーがコンピューターで照度のシミュレーションをした際に間違った結果に気付かないことがある」、という話に水馬氏は「経験として自分で体得していかないといけない、最近の懸念はここにある」と応じました。
吉野氏も新人時代に建築のモデルに光ファイバーを入れて光の当たり方を検証した経験があり、それが今でも活きていて「光についてすごく考えている、この会社はすごいプロフェッショナルな会社やなと思った」と言います。そしてヤマギワでは入社3〜5年目にリーダーになると各地でのセミナーを担当し、照明の基礎、基礎ライティング、照明講座のスライドを持って1時間ほど話さなければならなかったが、それがプレゼンテーション能力の向上に繋がったと語りました。また当時は全てスライドで撮影していた写真について「頭の中でストーリーを考えてプレゼンに使えるように撮影する」と教えられ、それが今とても役立っていると吉野氏は話しました。
現在IALD Japanに属するデザイナーの約43%がヤマギワのOB又はその子弟にある中で、かつてのその教育や仕事のやり方を今に引き継ぐべきものも沢山あるのではないでしょうか。
影の声からの「大阪と東京の戦いみたいなものはなかった?」との問いに、水馬氏は良い意味であったと答えました。バブル以前の意匠照明の分野において大阪では開発物件の競争がかなり激しく勢いもあったが、大阪は良くも悪くも自分で進める人が多い一方、東京は組織としてどのように対処してゆくかという鳥瞰する姿勢があり、そこに大阪と東京の違いを感じたと言います。また「進取の気性がありとにかく何でもやってみる、セオリーがないところからセオリーを導き出す能動性はやはり大阪だ。物を作る人にとってこの怖いもの知らずなところ、心の持ち方はとても大切だ。」と、育成のヒントになるような話もありました。
最後にモデレーターから将来に対しての意見を求められ、吉野氏は「メーカー側からの光の啓蒙を期待している」と言い、「かつて高速道路は高圧ナトリウムのオレンジ色の光だったが今は真っ白いLEDの光に変わってしまった。ただ効率が良ければいいということではない、なぜ夜に電球色の光を使うのか、温かみのある光が持つ心理的な効果といったところを一般の人や照明デザイナーの新人達にも啓蒙していってもらいたい。」と話しました。“温故知新”が今回の隠れたサブテーマでもあり、昔を知り新しきを考える機会になれば…と、あえて関西の照明デザイナーの歴史や環境を語ると共に、今一度照明デザインを考えてみることのきっかけになればと語り、3人で締めくくりました。
【日時】2020年10月30日
【会場】IALD Japan WEBINAR
【モデレーター】松本浩作
【パネリスト】水馬弘策、村岡治彦(欠席)、吉野弘恵、+影の声 ※敬称略
【主催】IALD Japan