森の時代
建築家 隈研吾 氏
これまで人々は大きなオフィスや工場というハコに閉じ込めるのが機能的だと考えられ、社会もまたカタマリ的、全体主義的なものへと傾斜していました。しかし、今回のパンデミックによって、カタマリとしての生活から離散的な生活への転機を迎えた今、建築の光についてどのように考えているのか。光を巧みに扱う建築家として国際的に高い評価を得ている隈研吾氏が、自身の仕事をまじえて紹介しました。
隈氏が建築の光についてしっかりと関心を持つようになったのは、1985〜86年にかけてコロンビア大学の客員研究員としてニューヨークに滞在していた時期で、その中で一番面白い体験のひとつとして、照明デザイナーのエディソン・プライスと親しくなったことをあげています。エディソン・プライスは現代的な照明デザインのベースを作ったような人物で、名建築の照明にも携わり、ルイス・I・カーンやフィリップ・ジョンソンといった建築家との関係や仕事から、光の重要性、光がどれだけ建築に大きな影響を与えるのかを教えてもらえたこと。その出来事が、光が自身の建築にとって大きなテーマとなり、日本に戻り実際にデザインを始める中で「日本的な光というのは何か」を考え続けていたと隈氏は言います。
建物の隙間から光が漏れてくるような状態というものにも関心があったと言う隈氏は、広重美術館や竹の家を例に、ルーバーのような粒子、その隙間から漏れる粒子の光について「人工光と自然光は分けて考えるのではなく、同時に考えるべき」と説明。また、GC プロソミュージアム・リサーチセンターの粒子状の部材による空間を例に「日本風の小さな粒子の光を追求していくと、結局それは木漏れ日だと気づいたと」述べ、その木漏れ日というのは自分にとって一つの原型になっていると語っています。そして、この木漏れ日を表現する隈氏の建築は、日本国内はもとより世界の美術館や公共施設、ホテルなど様々なところで見ることができます。
最後のスライドで紹介した国立競技場について、隈氏は次のように話しています。今までとは違う木の柔らかい質感を持つスポーツ施設に、どのようにして柔らかい光を入れ込むかということをとても大事にしました。僕らが目指している光というものは柔らかくて、時間の変化とか自然の風の流れなどによって絶えず揺れて移り変わっていくような状態のものが作れたらいいと。建築物は固定されたものだけれども、光によって建築物自身が流れていくとか、動いていくとか、揺れているとういう印象を与えることができるのではないか。そういうことを考えながら国立競技場の光がデザインされていると話し、講演を締め括りました。
Profile
隈研吾
建築家
隈研吾建築都市設計事務所