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FROM OUTSIDE2018.12.21

照明は心の問題とどう向き合えるのか #3

建築家/内藤 廣

(2013年3月21日 内藤廣建築設計事務所にて)

普通の人たちの心を掴む

一般の人たちにアプローチするにも戦略を考えなくてはいけない。先ほどの「誰の味方なのか」という話にも通じますが、照明デザイナーにしても、建築家にしても何かを提案しようとすると「なんだ、営業に来たのか」と思われてしまう。それは、基本的な信頼関係が崩れてしまっているからなんです。これは非常に大事な問題で、だからひょっとしたら今回のイベントにしても、ビッグサイトのようなところでやるべきじゃなかったのかもしれない。もっと普通の人が来やすい場所でやるべきだったのかもしれない。行政の側の人でも来やすいようなものをやるべきかもしれない。
これからは一般の人を味方に付けられないプロフェッションはアウトだと思います。高度情報化社会によって、タコ壺に入っているようなデザイナーよりも普通の人の方の情報量が多くなるかもしれない。昔はデザイナーとか専門の人たちは自分たちのほうがたくさんモノを知っていて、言い方は悪いですが、それを下げ渡しているような意識があったはずです。ヨーロッパ的な考え方です。でも最近はひょっとしたら、街なかを歩いているような女の子のほうが、物事の本質を掴まえているかもしれないし、意識が進んでいるかもしれない。その怖さを建築家もデザイナーもまったく分かっていない。クライアントと対している時に、技術的なことは別にしても、相手のほうが建築のこと、建築の本質を分かっているかもしれない。今はそういう時代なんですよ。だから、その人たちの心を掴むために、もっと必死にならなければいけないと思います。

これからのことを考える

照明というもののこれから先は、モノとしてのエンジニアリングと脳医学とリンクしていくものだと思っています。私たちは、一日のうち何時間かは液晶パネル、つまり発光体を見ることを習慣付けられてしまっている。人類史上初めてでしょう。それらが脳神経にどういう影響を与えているかなんて誰にも分からない。だって検証するには、そうなってからあまりにも期間が短い。そう考えると、照明はエンジニアリングとしてもまだ初期の段階で、「これから」というものだと思います。だから今こそ、若い人が頑張る時なんでしょう。10年前の知識は古くなってしまう。そんな状況なんだから、新しい情報をどんどん取り入れていく力が求められるはずです。
シンポジウムではチャールズ・ストーン(P8)には何となく納得したんです。欧米的な、冷静で、人間的に常識的な素晴らしい部分を持っている。くやしいけれど(笑)。私は日本の照明デザイナーは彼のスタンスに学ぶべきかなと実は思ったんです。つまり、現在のように心の問題へ向かっていくという時代背景に、ちょうどいいのではないかと。その中で、これからのアジアの照明デザインというものを見つけ出していければいいと感じました。いきなり安直にアジアの照明デザインを見つけ出そうとするのではなく。
ピーター・ライス(構造家。代表作にシドニーのオペラハウス、ロンドンのスタンステッド空港、パリのシテ化学産業博物館などがある)の自伝に出てくる「ムーンライトシアター」の話を思い出したんです。南フランスの山の中で、反射板を使って月の光だけで演劇をやろうというものです。エンジニアリングの最先端にいたライスがそんなことを考えたというのが興味深い。ここには、エンジニアリングも、人間の脳の話も、文化もいろんなヒントがあるはずです。
シンポジウムの難しいところは「持ってくることができない」こと。実物を提示できない。建築もそうですが、実物を提示しないから、話せば話すほど嘘っぽくなっていく感じがしてしまう。私からすると、照明デザイナーには照明デザイナーならではのやり方があるような気がします。
実物の光を再現して、体感できるようなセッションとかシンポジウムとかもあるのではないか。そのほうが多くの人に興味を持ってもらえると思います。しかし、全てはこれからの事です。まずここからという大きな一歩をIALD Japan の方々は踏み出したのではないでしょうか。
(2013年3月21日・内藤廣建築設計事務所にて)

PROFILE

建築家 / 内藤 廣 HIROSHI NAITO

1950年神奈川県生まれ。1974年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1976年同大学院修士課程修了。フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所(マドリッド)、菊竹清訓建築設計事務所を経て、1981年内藤廣建築設計事務所設立。2002〜11年東京大学大学院工学系研究科社会基盤学教授。2007〜09年グッドデザイン賞審査委員長。2010〜11年東京大学副学長。2011年〜東京大学名誉教授。
主な作品に「海の博物館」(1992年)、「安曇野ちひろ美術館」(1997年)、十日町情報館(1999年)、島根県芸術文化センター(2005年)など。受賞・著書ともに多数。

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