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FROM OUTSIDE2018.12.21
照明は心の問題とどう向き合えるのか #2
建築家/内藤 廣
(2013年3月21日 内藤廣建築設計事務所にて)
誰の味方か
一般の人たちは、建築家はお金持ちの側̶資本だとか社会の側̶に立っていると思っています。現実に、被災者の方たちは、建築家なんかに助けを求めないでしょう。自分たちを助けてくれる対象ではないんです。それは明快で、建築家も照明デザイナーもプロダクトデザイナーも、あらゆるデザイナーが「いったいお前は誰の味方なんだ」と問われている状況なんだと思います。
この10年くらいを考えると、エコだというんで、やれ省エネルギーだ、やれ地球環境だと騒いできた。ならばLEDを使おうという結論になる。これは流れとしては分かりやすい。それはそうだろうなと思います。ところがそうでないものが現れてしまった。原子力発電はCO2を出さない、環境にやさしい、安全だと言われて、いろいろ問題はあるけど「しょうがないか」とやってきた。それが震災によってすべてひっくり返されてしまった。本当に環境にやさしいのか、本当に安全なのか。省エネだとか環境だとかいうことを全面に押し出しているロジックというのは信用ならない、と今やごく普通の主婦だってそう思っているはずですよ。
たぶん、照明もわりとわかりやすいロジックに乗っていたので、性根から入れ替えて、向き合っていかないと社会から抹殺されてしまうかもしれない(笑)。建築家もまったく一緒ですけれど。建築家の方がもっと危機的かもしれない(笑)。
光で命を救う
安政の大地震の時に、田んぼの稲藁に火を灯して村人を高台まで導いたという話が残っています。あれは光の話です。こういう、光が命を助けてくれた、火が心を救ってくれた、という物語が歴史の中にたくさんあると思うんです。それらをもっと説き起こさなければならない。
被災地で照明デザイナーがどのくらいの提案をしているのかという話も出るはずなんです。たとえば明治三陸地震は午後7時頃に起きています。夜、暗闇の中を逃げるということを照明デザイナーも考えるべきだと思います。夜に避難しなくてはいけないときに点いてる何かしらの光について、町の人たちが常日頃「うちの町にはこんな照明が点いているね」と感じていて、いざというときにそれを頼りにできたらいい。こういう話はもっと照明デザイナーから積極的にされてもいいはずなんですよ。現状は、照明メーカーが各自治体に営業をして、街路灯は1本につきいくらです、みたいな話をして入札で決まってしまう。だから、つまらない通常の街路照明になってしまうんです。それは照明デザイナーが責任放棄してるとも言えるかもしれない。そこのところで、普通の人たちの生活や命というものとデザインがつながってくる可能性があるわけじゃないですか。
非常時に役に立つものというのは、日常の暮らしの中でも愛されているものだと思うんです。みんながいつも使っていたり、いいよねと思っているもののはずです。被災線に桜を植えるようなことと同じかもしれない。照明デザイナーが被災地で提案できることもあると思います。それによって大切なものが見つかるはずなんです。たまたま、東日本大震災は昼間に起きたけど、当然真夜中に地震が起きることだってある。われわれのいる東京だって震災がいつ起こるか分からない。広範囲で停電してしまった時に、バッテリーによる照明で何時間か頼りにして逃げられる、という話もあるかもしれない。
#1 シンポジウム 「照明デザイン 軌跡と展望」
#2 セミナー「Asian Cool & Hot!!」
#3 ライティングデザインセッション「照明デザイン界 ふしぎ発見!~クイズで知る照明最前線」
#4,5 有明あかりスタジオ
#6 シンポジウム「アジアの照明デザインショーケース/6人のデザイナーが語るアジア感覚の 光」
PROFILE
建築家 / 内藤 廣 HIROSHI NAITO
1950年神奈川県生まれ。1974年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1976年同大学院修士課程修了。フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所(マドリッド)、菊竹清訓建築設計事務所を経て、1981年内藤廣建築設計事務所設立。2002〜11年東京大学大学院工学系研究科社会基盤学教授。2007〜09年グッドデザイン賞審査委員長。2010〜11年東京大学副学長。2011年〜東京大学名誉教授。
主な作品に「海の博物館」(1992年)、「安曇野ちひろ美術館」(1997年)、十日町情報館(1999年)、島根県芸術文化センター(2005年)など。受賞・著書ともに多数。